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今年の漢字「令」から思うこと
2019/12/13(Fri)
「形式論は止めて、
本質的な議論をしよう」
会議の中で聞かれる言葉かと思う。
空中分解しそうな議論の解決策は、
その先に大抵あるものだから。
その意味で、法律は多分「形式的」
なものの際たるもので、それは、
その適用を一般化するためである。
しかし、法の精神には、必ず骨格に
本質論がある。
何のための(誰を保護するための)
法律かということだ。
それを生かすも殺すも、
運用する人次第。
立法と行政の分断の意義は、
そこにあると思う。
つまり、法を運用する立場にある
行政は、形式的な法の本質を
具現化できる立場にある。
「“形式的”に判断します。
“本質論”は求められていませんから。」
そう言ってしまった途端に
公僕としての存在意義を
自ら消し去ってしまうことになる。

(律令の本質である by 農園主)


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世間の約束事
2019/12/11(Wed)
 “情報”を集めて、判断し行動する。
日常生活はその繰り返しである。
情報には、当然、間違ったものがあり、
どんどん更新され、
新しくなっていくものもある。
だから、我々はその確度を
気にしながら、最新を求めていく。
津波や洪水の情報のように
生命にかかわるものについては、
その情報の確度や伝達の経緯について、
後日振り返って検証される。
当然のことである。

 身近な場合であっても、もし取引先に
間違ったことを伝えてしまった時の
あの焦り。
仕事場で気が付けば、すぐに連絡をして
謝罪と説明ができるが、
なぜか、そういう時に限って、
夜に自宅の風呂の中で、
ハッと気が付いたりする。
慌てて湯舟を出るが、もう遅い。
明朝一番で取引先に走るしかない。
この動機は何だろうか。
もちろん、信用とか、取引成約のため
とかもあろうが、多分、「嘘つき」に
なりたくないからなのだと思う。
そのレッテルは避けたい。

 問題は、情報の出し手になった時に、
その責任を自覚しているかどうかだ。
生命にかかわらなくとも、
日常生活や経済活動に影響のある情報を
その誤りに気が付いているにも関わらず、
手元にもったまま放置していたならば、
とても平常心ではいられないはず。
世間の約束事を無視しているのだから。
万が一、それが行政であった場合には、
事態はとても深刻である。

(言葉に重みがあるがゆえに by 農園主)


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いらいら?
2019/11/28(Thu)
 思う通りに物事は進まない。
当たり前のことである。
再建のために準備をしていると
様々な方々との関わりがある。
ハウス業者、地域の方々、行政
お互いに仕事をたくさん抱えており、
忙しい。それが世の中である。

 リーマンショックの時、
証券会社でその渦中の真っ只中にいた。
後始末は、目を覆いたくなるような
損益管理だけでなく、
膨大な事務作業も待っていた。
世界中の金融機関と複合的に絡み合った
無数の取引をひとつひとつほぐして
いかなければならない。
取引コスト、法律的な根拠を相互に理解し
協力しながら解消していく。
海外とのやり取りもあり、
徹夜は珍しくなかった。
「相手がいることなので、
 交渉が上手くいかなくても当たり前。」
今はそう思えるが、
事前の準備を完璧にしている以上、
完璧な結果を求める。
これも当然のことである。

 この手のストレスは、
仕事を本気でしていると避けられないもの
かも知れない。
だから、諦めるのではなく、割り切る。
そして、また詰め直す。
この繰り返ししかないのだと思う。

(諦めたらそこでジ・エンド by 農園主)


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脳のリミッター
2019/11/25(Mon)
 茂木健一郎氏の寄稿記事を目にした。
少し長く引用させていただいたが、
興味深いテーマなので。

「何よりも心理的には“できない自分”が
“できる自分”になることが不安である。
人間には、“できる自分”になってしまう
ことから逃げる傾向があるのだ。
人間の欲求に階層があるという説で
広く知られるアメリカの
心理学者アブラハム・マズローは、
自分の能力を発揮することを恐れる傾向を
“ヨナ・コンプレックス”と名付けた。
旧約聖書の中で、自分の使命を
果たすことから逃げようとしてしまう
預言者ヨナにちなんで
この名前がつけられた。
“できない自分”でいることは
残念で困ったことのようだが、
一方で、安定、はしている。
“できない自分”が“できる自分”に
なってしまうと、世界が変わってしまう。
何よりも自分が変わる。
“できる自分”になって、
自分や世界が変わるのは不安だから
“できない自分”のままでいい。
そんなふうに現状維持をよしとする傾向が、
私たちの中にはある。」

 私たちの行動は利己的遺伝子に
支配されているという話である。
それに逆らうことは、
とても難しいことだと思うが、
それでも危機意識さえ持てば、
遺伝子の誘導は、今度は新しい挑戦に、
積極的に向かわせるのではないか、
とも思う。

(リミッターは自ら外せるということ by 農園主)


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ダイエットの極意(教えたくないけど)
2019/11/01(Fri)
「私も最近ダイエットをして、
体重を四ヶ月で一割減らした。
やり方は簡単である。
毎食を半分にしただけである。
なにを食べ、なにを食べないか。
そんな厄介なことを考えたって、
実行できるはずがない。
出てきたものを半分だけ食べるだけ
というなら、きわめて簡単である。」
(「ぼちぼち結論」養老孟司著)

 数ヶ月前に珍しく減量をした。
忙しい時期に、体重が
落ちなくなったどころか、
ぶくぶくと太りだしたものだから。
嫁さんもいいペースで?
なぜかついて来る。
でも、好きなものは食べたい。
いつも通りに。

「どうして肥るか(ふとるか)
といったら、食べすぎるからに
決まっている。そうかといって、
絶食するわけにはいかない。
それなら食事量を減らせばいい。
論理的にはこんな簡単なことはない。
現代人はそれができない。
なぜなら、本気でないからである。」
(同著)

(万事その通りかも by 農園主)

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